時々記事

                    
           画像はカーソルが手のひらの時はクリックで大きくなります

 2014 9月22日 時々記事のこれまでの分は削除しました
■2014・9・30 目に慣れているもの慣れないもの
なぜ日本人は印象派が好きか
というのは印象派をもって西洋画が日本に入ってきたせいか
これでもか戸ばかりに印象派が大量に目に慣れてきている
[後期印象派も含めて)

そういう意見があった

そうだな
美の基準というのは 時代と社会に作られるのだな

で 目になじみのないものを見ると不快に思う人もいる
そういうことか

色のことで 武蔵は色の諧調がなだらかなごやか細やかなものが好きなのだ
自分が書く絵もそういう感じ
そういう価値観の人なのだ

大塚先生の講評の中で
盛んに暖色を上手に使ってある という言葉が出てきた
暖色に価値観を置いているみたいだ



謎が解けた
暖色の色をどういう風に画面に置くかというのにもいろいろ言及があった


この絵の時は おばさんの服の赤を受け止める赤を入れるように
という指導を受け それは納得

でも観客からは おばさんの服の赤い模様が浮いているからよくないと言われた

色がういたらいやだというかんかくがあるというのは
こんかいなるほどとも思った
そういう感じ方もあるのだ

一方 色が生な感じの人も結構いる
なんでだろう?と不思議だったけれど
そういう人は 私から見たら生な感じの色の組み合わせはきれいだと思うのだろう

韓国ドラマを見ていると 服装の配色がすごく生な色と感じる
(実際は当時の韓国の服装に沿いウイ鮮やかな色派あまりなかったらしいけれど)
でもそれがいい色の組み合わせだと思っているからそういう服装でドラマを組み立てるのだろうから
色の感じ というのも地域制やら時代性というのがあるのだろう

色については 人によって感じることも考えることも様々だと分かって面白かった

■2014・9・30水墨画のこと
朝鮮の民画に興味を抱いて調べ始めたら
水墨画もどうやって日本に入ってきたのか
東洋人の空間感覚ってどういうものか

面白い

だいたい朝鮮の人が 何でも自分のところが本家だみたいな言い方をすると耳にするが
日本人もそういうところがある

たらしこみというのは 宗達の発明だと割と無知な私も聞いたことがあるくらい
多分日本人で絵を描く人には常識なのかもしれないけれど

これなんか 誑し込みの説明によく出て来る宗達の仔犬の絵

↓は朝鮮の ハングル作った世宗の子孫たらいう李巖という人の書いた仔犬



↓のは チャングムの時代16世紀
仔犬の風貌 よく若冲や蕪村なんかとも比較してでてくる

日本の水墨画が中国や朝鮮の絵をそれこそ忠実に模写したり
画風を発展させたりして つくられてきたのだなあと思う

でも水墨画の説明の本を読むと
筆の使い方やら何やらj
事細かく描いてあって 絵を習うというのはそういうことを忠実にマスターしつつ書いていくことなのかもしれない

東洋の絵が 概念的になったり図像学的になるわけだ

事細かに支配的な師匠のもとで自分勝手を許されない状態で修行するのは大変だけれど
いろいろ剽窃しては工夫するなら楽しいぞ と思う


■2014・9・28 変わっている人
自分と脳みその構造の違いが判ると面白い

昨日の大塚先生の講評を聞いていて
Hさんという人の空間の考え方は 水墨画風
東洋的なんだとおっしゃってた



これとか


これ

水墨画ってそういう空間把握なのか
私は 中国や朝鮮の山々は
ああいう風な
絵みたいなのだと思っていた

上へ上へと重ねていくって

そういえば 男鹿屏風の山も描き方は実はとても観念的というか概念的だなと思った

それが Hさんの場合
先生が長くご指導になって
頭の構造がそうなっているということがよくお分かりなのだろう

↓のTさんの人物画もそうだ
概念的な人物図

それはマネしようってっ手真似できないぞとおっしゃるけれど
エジプトの図がそうだったように
人間にはそういう要素があるんだよ

前に小石川高校の美術の先生は
一定の割合で 概念的な絵を描く子供がいる
とおっしゃってた
その彼らの持っている概念図を使って表現する指導をなさると言ってた

地図や地形を把握するのに
変えようがなく使うイメージが違うように
それはきっと脳みその個性なのだ

今回Hさんのことがわかりそうでよかった

わからないのはYさんだ
大塚先生は空間恐怖症?とおっしゃるが

彼女から聞いたのはわざとたしい構成は嫌だ
かけ離れたコントラストは嫌だ
というのだ
空間も 開いてしまうのが嫌なのではなくて
広い空間ができたりそういう空間のリズムが極端なのが嫌いなのかもしれない

私とはこれまた違うから
観察してみよう
でもまだ私には恐ろしく分かりにくい

Yさんの家はこんないごちゃちごちゃじゃない
??
わざとごちゃごちゃさせて
わざとらしいじゃないか

私のこの部屋を描いたらすごいごちゃごちゃで自然体だけど・・・

■2014・9・27 人と話は通じないが喋ったこと聞いたことで自分が買われればいいわ
だいたい 若いころは絵のことを友達同士喧々諤々
しゃべくりあったものだが 大人の世界は そうはいかない
相手がどういう価値観でものを考えているのか
意外なことを考えているよ
今日は Aさんと朝鮮の民画の逆遠近法について話した


私は前に Aさんの風景画の中にある逆遠近法について
余計なことを言ったことがあるのだ


それで こういう朝鮮の絵の場合のとらえ方も面白いよね
と話したのだけれど
通じたかどうかはわからない




こういう虎の絵なんか
もう ほれぼれしてしまう




この絵の作者は 似たような魅力があるんだけれど
そんなことを意識しているわけではないみたいなのだ

いろいろ検索して 韓国の絵描きさんの水彩を見つけた




金斗鉉という イラストレーターの絵
こういう風に透明水彩の透明なのを生かした絵を描きたい
■2014・9・25 構図
構図のはなしが出たら 何のことかわからず
みなは絵を描くとき構図のことどういうことを考えて描いているのかな?
と思った

構図を考えるとき 見る人の視線を意識する
という視点があると初めて知った
そりゃそういうのもあるな
それで 大方の絵は鑑賞する人は1,2秒見て
ア こんなものかと 絵の前は去っていくというのだ

だから 当たり前の絵はつまらないと・・・
ホホホ 上手な絵なんかつまらないと・・・

そうだわ 
何じゃこれ?と思わせるのが構図だ という考え方もあるのよね

そういうの嫌いよ


やっぱりね 私は画面をどういう風に構築するかって考えるのが好きだ

何じゃこれ?っていうのは 何を描くかというのにもある

画面を構築 というほうでは
ただ実際には垂直のものを傾けるという話が
これまた視線を引き付ける という観点で論ぜられているものもあった

垂直とか 傾くとか そういうことを考えるのは好きだ

それで考えた
今年の裸婦は 体が傾いていくところを描きたかったのだが
振り返ってみると 背骨がまっすぐ という状態で描いた裸婦 
確かにつまらないわ



人物を描くときは 背骨とその傾きを軸に構図を決めるってのが
私には向いていそうだ
上のは たぶん9年前の絵だ
■2014・9・24 水彩らしい絵がかきたいな

アクリルなんか使ってさ
ちょっと辟易
それにこの頃色が濁るのが憂鬱
透明水彩で透明な絵を描きたい




レントゥーロフの絵
■2014・9・24 視覚言語
絵を描くというのは
イリュージョンを描くということで
個人が個別の視覚言語を使って画面を作るということだなあ

エジプトの美術 ペルシャじゅうたんなどを見て考えていた

模写というのも 真似する絵だと思い
勉強する方法だと思ったりしたけれど
さまざまな図形や意匠が伝搬していくことを思うと
本来人間は視覚的にも概念を創り出して
いろいろ表現してきたのだねと思った

なんとなくお絵かきの会は
概念砕きというか
お上手な絵を描く努力をみんなしてやっている風だけれど
ちょっと フフフだ

http://blog.goo.ne.jp/yuukouboh/e/53f25682c7be08232c680e2a8247ab25

上で もうさんざん考えたんだった



■2014・9・22今日は疲労困憊

展示会場で見ると家で見るのとはすごく違って見える
これが 第一収穫


写真を撮ろうと思ったら
カメラが行かれているのでカードを読まずにまずかった

明日は写真を撮ってこよう



KINU洋画会全体は みんな本当によく描いている
真面目だ それこそ塗り残しはないというか
全面的に一律びっしり力が入っているような

そういうことを良しとする空気ってあるのだろうなあ

ともかく自分の絵は
思ったより色が汚かった
人物は体の色のコントラストは強いのに』』顔部分が弱くて顔はないみたい
それ緒も私の目が悪いのか?
と思った 

田んぼの絵は嘲笑の的だったかも
どこの田んぼよ! とか言われた
ハハハ あっちこっちよ!と答えたが・・・

ともかく隣に几帳面な副会長の絵が並ぶと
荒い私の不手際がよく見える

次回も策動して 副会長の隣に並べてもらおう
そして 静寂の静物画を描くことにしよう!