時々記事

                    
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 2014 9月22日 時々記事のこれまでの分は削除しました
■2014・10・10 バウハウスと北斎
昨日は 武蔵が小布施の北斎館に寄ってきた
と 図録を買ってきたので 眺めていた
一方 相変わらず バウハウスの本も読んでいる

バウハウスは それまで西洋で?フランスで?主流的な
アカデミックな芸術教育ではない理念で なんかやろうとしたのか?

ともかく 経済 国際競争 政治 みなからんでバウハウスは翻弄されてきたのかもしれないけれど
芸術教育 ということでいうと やっぱり 画期的だったのだろう

今調べてわかった
桑沢デザイン研究所は バウハウスの影響を受けて設立されたのだった
造形大 そこを母体にした美術大学か やっぱりそうか
と思った 若いころ どこでバウハウスのことを聞いたのか
かなり話題になったのだけれどなんだったのか
全然 わからなかったが
つながりがわかったが 中身はまだわからない


この子は 造形大に行ったのだった

作品を作るとき アプローチの入り口は
分析 構成 表現  とあるなあ と思うけれど
もっと あるかもしれない

でもこういうのって とても西洋的な方法だ という気がする

北斎の図録を見ると 北斎はそういう西洋の方法に触れて
取り入れたりもし  とりいれなかったりもしている

東洋の場合 概念を創り出す
それを使って構成する
というふうかなあ

西洋だって ルネサンス前は とても概念的
中世は 宗教を読み解くような概念の図式 みたいな芸術だったような気もするし

パターン化した視覚言語を使って表現する民族も多いし

・・・・
私が身に着けた美術教育理論も
ずいぶんと西洋的な考え方に偏ってた と
今頃気がついても遅いよなあ

人々はどのくらいわかっているのだろうか

授業中に 造形大出身の相棒とまったく気が合わなかったけれど
その相手は たぶんバウハウスのことなんか知っちゃいなかった感じだけどな

ドラマ ホ・ジュンを見て
医学知識はないからわからないけれど
西洋医学と 東洋医学は人体のとらえ方の思想が違うのだな
というのは感じる
もっとも たぶん ホ・ジュンは本当の医師から見たら
トンでもの 医術ばかり描いているだろうが
病院帰りの薬局にあった 漢方の本を読んで
そんなことを思った
■2014・10・7 仏画
先日のフェスティバルで 同室の展示の水墨画に
仏画があった

墨で調子を付けてある仏画だったけれど
私 線と点で描いてみたいなあ と思った

切り絵は作ったことがある


信仰心なんかないのだけれど
仏像は好きなのだ

思い出してみると 絵巻物に墨で描いてるわ

なんか
こんな
意味深に線に強弱ないほうがいいな


小金銅仏のことを調べると これまた法隆寺の小金銅仏の中には
とても朝鮮風 北魏風 というのがあって
面白い


これは高句麗のもののようだ
そっくりなの どこかで見たぞ

これは新羅の

広隆寺の半跏思惟像にそっくり


この像にはびっくり 面白い
とても平面的と思いきや 横からの造形は すごいのだ
くーっと 半円を描いている

この懸裳座の パターンは
釈迦三尊像そっくり って 釈迦三尊層のほうが もっとレリーフ
という感じだけれど

昔は 水墨画にせよ 仏像にせよ 仏画にせよ
みな 中国や朝鮮から来たものを
真似して作ったわけだ

どういう仏様でしょう?
って 習って作るというのが ふつうだったのだろう
このごろ 中国が 日本の商品を真似して偽物を作って
けしからん 汚い みたいな風潮があるけれど

習って真似するって たぶん 悪いことだとは思ってない
それが悪いという観念は
近年のものだ

けち臭いことを言わないで いいじゃないかと
ほんと 模写の面白さを知って 心を入れ替えた

著作権だの 独創だの こだわるほうが アホだと思う

■2014・10・6  白と透明
バウハウスの本が出てきて見ていたら
基本形 視覚と三角と丸 で 構成するという課題の話がって
それ構成の勉強 というので 石膏で作ったレリーフがあった

四角のなんか 面白かった

コラージュでやることも考えたりしたけれど
レリーフ って作りたいよなあ
石膏直付けもいいけれど
粘土で作って 石膏どりとか・・・
しかし 石膏と水の量とか もう忘れた

透明というのも 昔のダイアモンドガラスみたいな 細かい切子のガラス
って今ないのだろうか?
建築の壁面を想定して作ってみたいような気がする

そういう内を立てたら楽しいだろうな

そういう構成要素の中に レリーフでもあり
使いようで小さいものを置ける棚にもなり というの

焼き物で作ったあほらしいそういうのを 置く棚になる

そういうレリーフ ができたとして …という絵を描くことにしよう
と思った


大塚先生の狙いは 固有色からみんなを解放したいようだけれど
しろととうめいというの
それこそ 白 という固有色を あらわさないと
と思い色豊かじゃない絵にしたいと思うよ?


そういうのを ペンで描くってのも面白くないか?

で 大塚先生の狙いに応えて描くというのと
ハハハ 三枚描けるなあ と思った

もっと描ける よ
■2014・10・5 概念的な絵
次回のKINU洋画会の課題は白いものと透明なもの
先生のはなしでは 固有色にとらわれがちなところを変えていこうという狙いのようだ
要は 概念砕き という教育法だ

しかし この頃逆さまのことを考えている

昨日も子供のお絵かきに付き合ったが
まあ 驚いたことに お母さんも 彩友会のメンバーも こう描きなさいと
平気で指示する
おそらく 学校の先生も美術教育が専門じゃないし
そうなのだろう

こちらに来て 小学生が 私たちの言葉でいう 知的リアリズムの段階で
一人も視覚的リアリズムへ足を突っ込んでいる子は見ない

発達について学んだ9歳の壁 これは全く今の子供に通用しない

なぜだ?
子供の発達がおかしいのか
私たちの理論がおかしかったのか
悩んでしまう

今となってみると
視覚的リアリズムというのは
もしかすると 発達の普遍的な理論に関係ないかもしれない

文化的なものだ
多分


絵を描いてみたいなという大人は多いけれど
これまで絵をpかじったことがある人はともかく
そうでない人は 上手に描けないから
自分にセンスがないからとか  ともかくそういう風に言って
引っ込み思案を見せる
本当は 絵というものを描いてみたいようなのに


それで 思い出すのは恩師の概念的な子供の絵についての話だ

概念を作ることがまず先だ
もっとも典型的な姿かたちで
そのものを認識する
それをちゃんと保証するべきだ
という話

大人にも当てはまるかもしれない

これから 新しく入ってくる人たちは
どちらの会の人たちの絵も 上手に見えて それを習いたい
うまくいかない という風に思うかもな
とも思い 大人だって 概念的になることを否定してはいけないのだ
という風に思った



このホトトギスなんか
私の頭が視覚的リアリズムに毒されているから
訳和kンないじゃないか

これこそ もっと典型というのを捕まえて
もっとぱったーん化して描いてみようと思った

早く ホトトギス 咲かないかな
■2014・10・1 色2

夕べ寝ながらデュフィの画集を見ていた
最初のころ デュフィだって色が濁っている
色が濁って見えるのは階調に軽やかさがないせいだ
軽やかじゃなく重い絵だって 暗い絵だって
色がいいなと思う絵は 階調の扱いが音楽的だもの

そういうのは 明度段階だけではなく 色相についてもいえるのかもしれない
彩度の高い絵だとか 彩度の低い絵だとか
それの諧調を作るのは 難しいのだろうなと思った

私の絵は だいたい青すぎる
それで 前の絵をちょっと手直しした


前の絵は



上は写真でしたのはスキャンした画像だから
そういう違いもあるけれど

次回の課題は
白いものと 透明なものというのだからな

色相は ぐるりと全部使う絵にしよう と思う


これは 選択したら 色が反転する
それ

これ
かこいいね!
■2014・10・1 色
今日久しぶりに言ったら
温泉で明野の絵の会の方たちの展覧会をやっていた
自分お目が今まで見え無かった色が見えるようになってきていた

感激 びっくり
久しぶりにIさんの絵もあった

確かに 碧の木立を緑しか使わないで描いたらつまらんよ

私もかつてはそんな絵ばっかりだったな